―― 岩魚の躍り食い ――

 

 白魚の躍り食い、タコの躍り食いといったことはよく耳にすることであるが、これからお話するのは岩魚についての話である。

 飛騨の山奥、御嶽山の麓に秋神という部落があり、そのまた奥に温泉の一軒宿がある。温泉の裏には秋神川が流れ、釣客も多い。
秋には紅葉が美しく、冬になれば人工的に作った氷柱を「氷点下の森」といって見せたりしているが、おおよそ静かなのが取柄の、山の温泉である。

 本流ではダムから遡上する大岩魚がいるらしいが、日中は石の下に隠れて釣れないので、地元の子供たちは眼鏡を着けて石の下を覗き、素手で岩魚の鰓に指をねじ込んで捕るのである。

 上流部は与十郎谷、真俣谷(胡桃大滝がある)と足場の悪い釣場である。反面、中流部の支流は穏やかな谷が多く、のんびり釣るにはいい所だ。大きい魚はあまりいない。

 私は高山に住んでいた頃、釣の師匠である加藤さんを招いて、秋神のある支流へ釣に入った。
前日の夕方、林道の終点にテントを張り、3匹ほど目の前の川で掛けた岩魚を焚火でよく焼き、熱燗を注いで骨酒を楽しんだ。

 次の朝、テントの前でのんびり朝飯を食っていると、一人の釣師が挨拶もなく前の川を釣り上がっていくのが見える。まあ、後を追っても栓がないので、黙って飯を食っていると、しばらく経って、先ほどの釣師が戻って来る。
 実はこの谷は途中から伏流しており、中流は水のほとんどない場所が続くので、川上の様子を知らない者は根気が続かず、降りてきてしまうのである。

 私と加藤さんは、水の少ない中流部をとばし、滝が出てきて水が多くなるあたりから竿を出した。案の定釣師は入っていないらしく、ぼつぼつ釣れてくる。加藤さんの毛針にもよく肥えたアマゴが掛かり、大変美しいので淵に逃がしてやる。

 今日の釣行の趣向として、加藤さんの希望もあり、岩魚を刺身で食べてみたいと思っていた。 ところが、その企みを感づいたのか、大きいものが掛からない。結局、休憩のとき魚籠に入っていた六寸ほどのものを食べることにした。

 そこで、思い出したのが「飛騨の渓流釣り」という本に書いてあった魚のさばき方である。
 まず、岩魚の頭を棒で叩き引導を渡す(なんまんだ)。鰓とはらわたを取り、きれいに血合いを洗い流してから、魚の首のあたりにぐるっと包丁を入れ、切れ目から皮を引き剥がし丸裸にする。

 さて次は食べ方であるが、まず、しっぽを歯でかみ切り、醤油にちょんとつけた岩魚を、団子をくわえて串から抜き取るように食う。野趣あふれる方法である。
 下呂の料理屋でこのように客に出しているところがあるというから驚きである。

 岩の上で二匹のお頭付きの刺身が虚空を睨んでいる。加藤さんがちょっと尻込みしたので、私がまず試してみることになった。

 まず、しっぽを歯でかみ切って・・・

 ぶるぶるっ。わっ。

 頭と骨と肉だけになった岩魚が身を震わせたのである。
 しばらく、気味が悪く岩魚を眺めていたが、どう見ても生きていないようなので、醤油をつけて・・・食べた。まずくはないのであるが、味がどうにも分からなかった。

「これが岩魚の躍り食いやな」
加藤さんはそう言いながら、自分は岩魚をナイフで三枚におろして食べた。
「やっぱ、こっちの方がうまいわ。」

 そのあと源流まで釣り上がり、岩魚をほどほど掛け、熊の大きな糞があったところで引き返した。

 

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