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―― 甘い梅干し ――

 大学2年の夏休み、サイクリング同好会の合宿が北海道であり、現地までは自由行動であったので、北海道まで自転車で走ることにした。

 コースは最短を取り、太平洋側をひたすら走る計画とする。当時は(今も基本的には変わっていないが)名所、旧跡をまわることには興味がなく、ただ何も考えず目的地に向かって走ることだけに専念したので、1日200kmぐらいのペースで、1週間で八戸に着き、フェリーで北海道に渡った。

 その間、寝る場所は基本的に野宿であり、場所は駅の軒下とか公園などであった。いわきでは民宿の主人に声を掛けられ、飯を食わせてもらったうえに、準備中の海の家に蚊帳を吊ってもらい寝たこともあった。

 その日、私は大船渡の国鉄の駅に夕方着き、待合室で最終が出るのを待っていた。まだ、お客がいるうちは駅の前で気安く横になれないので、ベンチに座って待合いの人たちの様子を窺っていたのだ。

 そのなかに、相当酔っているように見える熊のような感じの年配の男がいた。男は待合室にいるお客にしきりに話し掛けている。東北人の言葉は分かりにくいものであるが、この男は酔っているのでよけいに何を言っているのか理解しがたい。しかし、たまに分かる言葉から「おれは人を殺すことなど何とも思っていない。」というようなことを言っており、周りのお客は絡まれて迷惑していることは明らかであった。

 私はこの男と関わりあいになりたくなかったので、目を合わせないようにしていた。ところが、最終に乗るお客が出て行ってしまうと、私と男が待合室に残された。

 当然のように男は私に話しかけてきた。私が野宿をしながら旅行していることを説明すると、何を思ったのか仕事を世話してやると言う。どうも土木関係の仕事を仕切っているようであり、太い指の中には途中からないものもあった。 酔っぱらいにきちんと説明するのは難しかった。おまけに「ここに住所と名前を書け。」と紙を出して強要するので、適当な名前を書いてごまかした。
 嘘をついたのである。

 その前日、私は仙台駅で野宿をした。駅の外壁に80cm四方ほどが窪んでる場所があり、そこに頭をつっこんでシュラフを被って寝た。窪みの奥には安い物であるがラジオを置いていた。朝起きてみるとそのラジオがなくなっている。私は全然気がつかなかった。考えれば考えるほど、自分のやっていることが怖くなった。用心しなくては・・・。

 とにかく仕事を世話してもらうのだけは断り、夕飯を食わせてくれるという男について駅を出た。自転車は男の知り合いの工場に置かせてもらう。
 男の知り合いの家(別居している家族の家?)に寄った後、港の方へ向かい、人気(ひとけ)のない飲み屋が並ぶ横町へ入って行った。

 そこはカウンターがあるだけのあまり広くない店で、反対側には二階へ上がる階段があった。年増の女将と、どうみても高校生にしかみえない少女が相手をしてくれる。店には一人か二人先客がいたが、すぐ帰ってしまった。男はこの店につけがあるらしく、女将は「あんたに飲ます酒はない。」ときついことを言っていたが、私にはおでんなど腹にたまるものを食わせてくれた。男はまた酒を飲んでいた。
 階段下には、狭いござを敷いた少女の寝床があった。カウンターの上には少女が折った千羽鶴が下がってる。

 ここでタクシーを呼んで、男のうちへ行くことになった。そんなに遠くないという話だし、私も男が悪意をもっているように思えなくなってきていた。

 もう30分以上車は走っている。少しは明かりが見えた大船渡の市街地からはずれ、あたりは民家もほとんどなくなり、真っ暗な山道をどんどん登っていく。私は男に場所を聞くこともできず、なかば諦めの気持ちで窓のそとを見ていた。

 車がさらに細い道に入っていき、丘の上の大きな農家の前で止まった。車から降りると、谷川の音が聞こえてくる。

 男について、薄暗い土間に入っていくと、丸い顔の老婆が迎えてくれた。男はこの老母と二人暮らしなのであった。
 男は母に命じて、家にあるものを全部私に食べさせようとでもするように、あれこれ持って来させた。汁に浮いたイカの煮付け、缶詰・・・・。すでに満腹であったのに、私はその好意を断ることができずに食べた。しまいには、「まだ食えるだろう。」と丼に冷や飯を盛ってきて、「おかずがないから、これでも掛けて食え。」と生卵を掛けてくれた。

 その晩は、男の寝床の隣に布団を敷いてもらい、並んで寝た。男が「このあたりでは寝間着を着ず裸で寝る。」と言うので、パンツ1枚で布団に潜り込んだ。
 夏なのに夜は寒いくらいで、厚い布団がちょうどよかった。

 夜中、腹が痛くなり目が覚めた。喉の奥から塩水のような唾がわき上がってくる。私は便所へ行って吐きたいと思ったが、この家の便所は外にあり、場所が分からなかった。部屋も真っ暗で、いびきをかいて寝ている男を起こすのも気が引けた。しばらくじっと我慢していたら、吐き気は治まった。そして、また寝てしまった。

 次の朝は明るく気持ちのいい朝であった。
 私は仕事へ行く男のトラックに乗せてもらい、大船渡の自転車が預けてある工場へ戻った。そこで男と別れた。

 三陸海岸沿いの国道は登り下りがきつい。お昼にはまだ時間があったが、腹が減ったので、海のみえる国道の傍に腰を下ろし、家を出るとき男の母が持たせてくれた大きなおにぎりを二つ取り出した。かぶりつくと中から梅干しが出てきた。甘くて酸っぱい梅干しであった。

 私は、北海道の帰りに男の家に寄りたいと思っていたけれども、自転車が故障したこともあり、大船渡には寄らずに名古屋に戻った。それで、手紙を書いてみたが、返事はなかった。男には手紙の差出人が誰なのか分からなかったかもしれないし、もし分かったとしても返事は出せなかったと思う。

 

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