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今西錦司先生のこと
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岐阜大学には御嶽会という登山の愛好会があります。
第4代学長(昭和42年6月〜昭和48年5月)として岐阜大学に迎えられ、 一説には山に登れるから岐阜に来たとも言われる今西先生が、職員を誘い最初に登ったのが御嶽でありました。

これをきっかけに岐阜大学御嶽会が発足し、先生が退官された後も年に2,3回岐阜周辺の藪山に 登っていたのであります。
どうして藪山なのかと言えば、先生は晩年には生涯1500山を目指して、登ったことのない山をピークハントするのに情熱を傾けられていたからです。道のあるようなピークは残っていなかったのだと思います。
平成4年に90歳で亡くなられるまでに結果的にいくつ登られたのかは存じあげません。

昭和58年9月、御嶽会で郡上八幡の東、和良村にある堂塚山885mに登ることになり、岐阜大学に就職してまだ半年の若造の私も誘われ参加することになりました。

前日は和良村の民宿に泊まり、夜は民宿の二階の大広間で宴会が催されました。
私が皆さんより少し遅れて二階へ上がると、ほとんど空いている場所がありません。 ぐるっと見渡すと、真ん中あたりに一カ所空いているところがあるのに気が付きました。

私は何も考えずその席へ直行し、胡座をかきました。ふと右隣を見ると眼鏡をかけたおじいさんが座ってみえる。後で知ったのですが、それが今西先生でした。みんな遠慮して先生の隣だけ空いていたのでした。
一緒に酒を飲みながらどういう話をうかがったのか残念ながら思い出せません。鮎の話をしてみえたような気がします。

私は先生の自然科学の理論について理解しているわけではありませんし、登山のスタイルや考え方についても時代が違いすぎることもあり特に影響は受けませんでしたが、二日間先生に同行し、大人(たいじん)の空気に接したことは強い印象を私に残しました。

あと、岐阜大学附属図書館には「今西錦司文庫」 といって、先生の自著と蔵書が閲覧できる部屋があり、ここには古い岳人のバックナンバーや奥美濃の沢の資料等があり、昼休みによく通ったものです。

先生の研究については「進化研究と社会:今西進化論」 に詳しく紹介されています。

1983.9.11 堂塚山885m頂上
今西先生