――錫杖岳前衛フェース左方カンテ,2ルンゼ冬期登攀――

1984,12,89

春日住夫,石際 淳 

 

◆プロローグ

行きたくなさそうな春日さんを,しつこく誘って「錫杖行くぞ。」と言わせたものの,自分でもこの山行がどんなものになるのか分からなかった。今年は雪が少ないと言っても山靴で登るのは快適ではないだろうな。手もつめたいやろな・・・。(あたりまえや。以下かっこ書きは現在の筆者コメント。)

その上,新岐阜の好日山荘で待っていた春日さんは,「ベースを張らずに壁でビバークする。」と言うのであった。

 

◆12月7日

買い出しをしてから,車の中で色々食ったり飲んだりして楽しくドライブ。緊張もどこへやら,3時間で槍見に着いた。車の中で寝た。

 

◆12月8日

朝,車の中は凍りついて真っ白。ヒーターを点けよう。アレ?エンジンがかからない。バッテリーが上がってしまった。仕方がないので,そのままにして出発する。(帰りはどうするつもりなんや!)

 

クリヤ谷を渉るあたりから,雪が多くなってきた。膝下ぐらいまでしかないが,ラッセルはけっこうえらい。錫杖沢出合からは岩小屋へ向かって錫杖沢を登る。雪が中途半端で,氷の着いた岩溝を登ったり,雪壁をずり落ちたりしながら岩小屋にたどり着いた頃には,重い荷を背負って登る気力が消え失せていた。

 

それに,見上げる前衛フェースは,雪がまったく見当たらない。(登ってみると傾斜の緩い所には雪が着いていた。)ビバークするなら水を上げなければならない・・・。結局,岩小屋にベースを張って,ピストンすることに決めた。

 

「今日は左方カンテをやろう。」

もう12時である。取付きがはっきりしなかったが,なんとか思い出して登り出す。チムニーの下のフェースは濡れている上,右方の凹角にはベルグラが着いていて,難しかった。A0で行く。最後のチムニーはハアハア息を上げながら,重くて足が上がらない靴を呪いつつリード。外傾したテラスに上がる動作がどうにもならず,シュリンゲをアブミにして乗越した。

 

ここから木を支点にして,北沢側へ2回のアップで帰った。(3回の間違えです。)岩小屋に戻った時には,もう,きれいな月夜になっていた。岩小屋では,外で月見酒と洒落込んだが,キャンピングコンロのガスが漏れて使えなくなり,ろうそくでスルメをあぶって,かじりながらのんびり酒を飲んだ。

 

「ガスも壊れてしまったし,今日登って満足したで,明日は下りようか。」

静かで,穏やかな夜であった。

 

左方カンテ取付き12:30 終了15:50

 

◆12月9日

昨夜は,コンロも故障し飯も食えないので,もう下山しようと話していた。ところが,朝になって私が未練がましくルート図を出して見ていると,「今日,どこやる?」と春日さん。「2・3間リッジ!」と私。今日も登ることとなった。

 

1ピッチ目。3ルンゼのすぐ左から取付く。ルートがよく分からなかったので,腐ったハーケンに導かれて,雪の着いたブッシュ帯まで登り、春日さんを迎える。

 

2ピッチ目。春日さんがリードしてブッシュ帯をトラバースして2ルンゼに入る。

 

3ピッチ目。2ルンゼのガレ場をコンテで行くところだが,そのまま,スタカットで雪の詰まった広いルンゼを登る。ピンが見つからず,ルートがはっきりしないので,40m伸ばして,アングルを打ち,コールする。

 

4ピッチ目。ルートが見つからず,春日さんは登ったり下りたり,雪をかいたり大変であった。仕方がないので2ルンゼにルートを取る。(2・3間リッジへはガラ場の途中から右手に見えるピナクルを回り込んでリッジに出るんだよ。)

 

40mいっぱいの垂直に近い凹角で支点も古くなっており,打ち足しながらリード。30mぐらいのところで,まったくホールドのないオープンブックとなり,EB(知ってる?)なら突っ張って登れるかもしれないが,山靴では無理なので,10cmぐらいの太さの松が右へ突き出しているのに乗り,トラバース。隣の凹角の出口の岩に右手だけでぶら下がりながらなんとか落ちずに移る。

 

ここもピンがないので、ブッシュと氷の詰まったクラックにチャンネルを打ってピッチを切る。春日さんが「怖かった〜。」と言いながら登ってくる。そのままリードしてもらい,次の核心部の前で休む。

 

5ピッチ目,このピッチがまた難しそうなので気力が萎えてきた。

「よし!」と気を引き締めなおして取り付く。こうなったら,始めからハーケンはつかむは,シュリンゲを手に巻くやら,スタイルなど気にしていられない。やっていることはA0でも,まったくの人工と同じなのであった。(当時はA0をA1と違うスタイルと勘違いしていた。)

 

やっと,あと2ピッチで横断バンドという所まできた。ところがトラバースすべきバンドにベルグラが張り,上から水が流れ絶望的であったので2・3間リッジへルートを変える。春日さんが1ピッチ登った所でアップの支点があったので,上部1ピッチ残っていたが諦め(水が流れていた),降りることにする。もう15時だった。

 

ザイルをセットし,春日さんが3ルンゼ方向に下りていった。ところが,待てど暮らせどコールがない。ザイルに触れてみるが,荷がかかっていたり,いなかったりでどうなっているのか分からない。たぶん宙ぶらりんになってしまっているのだろうと思いながら,待つしかなかった。30分くらい経って,雨のように落ちてくる水がザックやヤッケに着いて凍り始めた。

 

そういえば腹も減ってきた。朝,メタで作ったスープに入れた小さいモチ3個だけで1日行動していたのだ。緊張していたので気がつかなかった。予備のチョコレートがあったが,春日さんに悪いので食わなかった。待つこと1時間。(今から考えると,何か行動を起こすべきだったかなとも思う。)今日はここでビバークかなあ。もう日が暮れかかっている。などと思いながら穂高の山を見ていた。

 

その頃,春日さんは必死で左へトラバースして,1回落ちながらもボロボロのフェースを登り返し,2・3間リッジのルートへ戻ろうと奮闘していたのであった。「ザイルを振れー」とコールがかかった。2ルンゼ側に振って降りていくと小さなテラスに着いた。そこの小さな岩にシュリンゲがかかっており,アップした形跡がある。「これで帰れるぞ。」と喜んだ。ところがザイルを回収しようと引っ張ったがビクともしない。顔が引きつってしまった。

 

「登り返すしかない。」春日さんはプルージックで登っていった。私は自分が行かなくて情けなかった。滑らなかったのは,濡れたザイルが凍りついて針金のようになっていたためであった。今度は2人で祈りながら満身の力を込めて引いた。ズルッ,ズルッ,ズルズルと少しずつ来た。やった,滑り出した。

 

もう日が暮れた。ここから私が先にラテをつけてアップする。暗闇の中に吸い込まれるようだ。40mいっぱいで雪の詰まったガラ場に着いた。ここから少し下りブッシュ帯をトラバースし,木を支点にして3ルンゼの取付きに降りた。7時を過ぎていた。

 

雪の上でザックに腰をおろし,2人でぬるくなった紅茶を飲んだ。生きている感じがした。春日さんはタバコに火をつける。月明かりで煙が紫色に光った。いつもはけむたい煙がいい匂いに思えた。

 

2・3間リッジ取付き1000 懸垂下降終了1900

 

 

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