錫杖岳北峰前衛東面フェース(本峰北東壁)初登攀
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兵工山の会の西野加郎氏から昭和36年〜38年にかけて錫杖で初登攀された記録の第三弾です。 烏帽子岩西の肩の右手。本峰北東壁の初登の記録と思われます。

兵工山の会 機関紙「石楠花」第30号より



登攀日  昭和38年8月3日
メンバー 谷 武士,西野 加郎

夏山シーズンが近づくにつれて,いつも胸の隅に残っていたあの壁を今年こそ完登してやろうという気が熟してきた。昨年の失敗を色々反省し, 今年こそはの意気込みで,シーズン2ヶ月前からはクライミングばかりの山行をして,トレーニングの最低線は守ったつもりである。 昨年試登の時にあった僅かな不安は今年は全然感じられない。それというのもフェースと2回目の対面であるからであろう。

8月3日 晴後曇
入山したその日の雷の鳴る昼下がり,谷君と右俣沢から烏帽子岩西の肩へ偵察に行く。双眼鏡で丹念にルートを調べる。見た所河畔部は昨年どおりで, 上半部は最後のピッチにあるクラックのあるオーバーハングの部分が最大の難関であろうという結論になった。 「半分登っているから簡単だ」という小生と,「いやなかなかしぶい」という彼の言葉とがときたま交錯するぐらいでいつもの冗談も出ない。 真剣な雰囲気が静かな錫杖にしみこみ,若い2人のファイトが無言の岩峰にこだまする。 三つ道具を西の肩の岩小屋にデポして,もとの右俣沢を下る。

8月4日 晴 夕立
石田,浅井,両君と我々4名のさみしい錫杖岩小屋を5時35分出発する。朝日は穂高の稜線を越えて朝のあいさつを送っている。 今年は1日で完登する予定で1日分の食料で荷が軽い。しかし万一のビバークを考えて行動食を1食余分に持って右俣沢を遡行,西の肩へ出る。 フェースは光線を真正面に受けて深い谷間に切れ落ちている。三つ道具を持ち取付点へトラバースする。6時50分 昨年の登攀開始時間より大分遅れたようでちょっと時間が気にかかったが,ルートを更に確かめ1時間の時をアタック準備にゆっくり過ごす。

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8時10分 松の木のテラスよりアタック開始。最初の出だしでもたもたしたが5m上の最初のハーケンに着く。昨年打ったことをすっかり忘れ, 他のパーティーに登られたかと一瞬不安になったが,それにしてはハーケンが錆びすぎているので,我々が打ったのだろうと推測する。 昨年と伊奈字ルートでピッチを早め,2番目のハーケンに来てやっと誰にも登られていないことが判明し,本当にうれしくなったきた。 第1ピッチのビレー点は昨年通りの所。今年も穂高の稜線が青空に湧き出た雲を下に美しい山なみを描いている。

早いピッチでセカンドが登ってくる。昨年より1時間も遅れた取付き時間をこのピッチで取戻した。 この調子ならと益々希望が持ててくる。 キャラメルをなめ,すぐ第2ピッチへ。中央バンドまでのルートで,昨年苦心した所である。難なくオーバーハング下に出て昨年のハーケンを 更に確かめ打ちしてアブミをセットし簡単に乗り切った。第2ピッチ終了時間10時20分。昨年は11時30分であるから取付きより2時間の短縮が成り,全く心も軽い。

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ここで軽い間食をとり,いよいよ新ルート開拓に喜びが湧いてくる。第3ピッチの出だしは簡単にと思っていたが,オーバーハングしていて,ハーケンを打ちながら 僅かに高度をかせぐ。ハングの乗越直下にアブミをセットして,両足に力を入れて突っ張ったかっこうで,左手の指先しかかからない小さなホールドにバランスを とりながら,次のホールドを探しまわるが手の届く範囲では見つからない。この状態ではいつまでも立っていられない。膝頭にエンジンがかかりはじめる。 楽な地点へ静かにダウンするのさえ薄氷を踏む思いである。再度同じことをやってもダメ。

他のルートは今のルートより更に条件が悪くなるので採用できない。あそこさえ越えればまた快適なホールド,スタンスがあることは偵察ではっきりしている。 再三アブミに乗り,執拗に乗越上部にハーケンの打込みを試みるが,どうしても入らない。 左の腰あたりの草をむしって2m程の小さなスタンスを見つけ出し,ここに左足を乗せれば越せそうだ。しかしアンステイブルな姿勢で1m程足を上げることなど出来そうもないので, アブミをうまく利用して少しせり上がり,右足に体重を静かに移しつつ,手を小さな凹みにぴったりと吸いつける。

万一のため,セカンドの谷に「たのむぞ」と声をかける。心配そうに見上げている彼はいっそう緊張しているだろう。すぐ下6〜7mの所に彼がいることは何にもまして心強い。 左のスタンスにビブラムがかかり静かに体重を移し変えつつ立上がる。エンジンはかからない。全身みぶるいするような恐怖感はない。完全に乗れた。 しかしこの状態でも長くはおれない。次の動作へリズミカルに動かねばならないが,今の自分を満足させてくれるようなホールドもスタンスもない。 勿論ハーケンも打てない。もう少し上の地点には豊富なホールドが待ちうけているが,その間を完全なバランス・クライミングで突破せねばならないが, それには自分の動作に自信を持つことが最大の条件である。六甲のいろいろなゲレンデでトレーニングしてきたことを思い浮かべると,不思議と勇気が出て来た。 一幅,二幅と高度を上げて,ようやくしっかりしたホールドをにぎりしめる。努力した成果を味わいながら3ピッチ目のビレイ点に1時間半の苦斗の末着いた。

セカンドを待つ。ザイルをたぐる非常にのろいことからして,彼も苦心しているのだろう。姿はまだ見えず今はザイルのみが唯一の生きものだ。 どうやらオーバーハングのひさしの所で難儀しているらしい。三段アブミがどうしてもとれないようだ。まだ1ピッチ,オーバーハングが残っているので,これは 出来るだけ回収したいところだが,あの不利な場所ではとうてい無理だろう。初登のよい記念になるからあきらめよう。やがてほこりに汚れた彼の顔がゆっくり上がってきた。

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このフェースもおそらく次のピッチで終りとなるだろうが,そこは我々の偵察では一番困難と思われる6mのオーバーハングだ。空はすっかり曇ったようである。 ゆっくりしておれない。右斜上へルートをとり,丁度不動岩正面壁のクラックルートのような所を選ぶ。ハーケンを2本打込む。

いよいよ最後のクラックのあるオーバーハングの下に出て来た。そのクラックの出来る限り上の方にハーケンを打込んだが,根元の方できいているだけで,先端は何もきいていないのが見えている。 カラビナをかけて引張って確かめてみたが,体重をあずけるだけの安全度は少ないようである。ここでもまたハーケンを打つリスを探すのに苦労する。 左へ少しトラバースして他のルートを探したが突破口がない。あきらめて,今のクラックルートを取ることに決心する。雷が遠く笠ヶ岳の方から聞こえてくる。 細かい雨がポツリポツリ落ちてきた。ここで雨に降られたらどうする事も出来ない。

夕立が来るまでまだ1時間くらいは持ちそうだ。もうちゅうちょする事はない。今打ったハーケンの下へもう1本ガッチリと打ち足す。 これでたとえ上の不安定なハーケンが抜けても,その下のハーケンが奈落の底へ行くのを止めてくれるだろう。 ゆっくりとアップしたが期待通り完全に体重を支えてくれた。余りきかないハーケンを等間隔に打込みアブミ操作によって高度を上げ,ハング最後の突き出ている所と自分の胸とが同じ高さになった。 これを乗り越すためにどうしてもしっかりしたハーケンが必要である。いろいろ探しまわって打ったKS型のハーケンが気持ちよく岩をつかんだようだ。 これにアブミをかけ体を持ち上げひさしに足をかけて,思ったより楽に最後の難関を抜け出る。

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この壁の右端の樹林帯に入りビレイ点をきめた。どうやら岩場は終わったようだ。セカンドも快調なピッチで上がってきたので,そのままピッチを交代し彼が先にこのブッシュと岩場の境を15mほど登った。 ここで終わりという彼の声が聞こえる。

2年越しの我々の努力が結ばれたようだ。今度はセカンドになったので左の岩へ戻りピークまでダイレクトに登り,北峰前衛フェース東面のアタックは全終了。 ヘルメット姿のままガッチリ握手。2人だけの祝福をし合う。15時30分

遅い昼食をとりながら1時間程のんびりと初登攀の味をかみしめた。雷をまじえた夕立の中を左のルンゼをアプザイレンして下る。取付き点で荷物を回収し小降りになった烏帽子北沢をBCへと急ぐ。 我々の初登攀にいかりをこめ,雷をならし,雨を降らし涙を流して悲しんでいる岩峰をあとにする。我々は何も無かったように。

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