錫杖岳本峰正面壁横カンテルート
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兵工山の会の西野加郎氏から昭和36年〜38年にかけて錫杖で初登攀された記録を送っていただきました。 現在,定着しているラインではありませんが,この岩場の開拓初期の雰囲気がよく伝わる貴重な資料です。 また,新しいラインに目を向けるきっかけにもなると思います。

では,第1弾として本峰正面壁横カンテの記録をご紹介します。 位置がはっきりしませんが,右俣沢の左岸,本峰正面壁の基部右よりに出るラインと思われます。

兵工山の会 機関紙「石楠花」第30号より



登攀日  昭和36年8月14日
メンバー 西野加郎,石田 勝
サポート 小鯛,喜田,谷

記録
B・C出発6:20 右俣左俣出発7:20(休憩10) 右俣沢 カンテ9:00 登攀開始9:15  終了13:00〜14:30 右俣沢の右側の壁アプザイレン 右俣沢 B・C16:00

昨日の偵察で楽に登れそうだったし,登攀距離も短いので,ゆっくり出発する。三本槍へのパーティーに 見送られて本沢を遡行する。雪稜クラブの前衛フェースアタック隊は既に登攀を始めていた。カンテの下に 着き準備をして登攀開始。このアタックは小鯛さんが8ミリで撮影することになっている。

1ピッチ目はトップに立ち,途中に見える二本の枯れ木に向って容易にダイレクトに進めたが,二本の枯れ木の所を通り抜けるのに苦労した。 このカンテがせばまった所で,一抱えもある重なり合った大きな岩が落ちそうになり,5分程それを押え込むのに冷汗をかいた。落としていたら 自分も引込まれていたと思うとゾーッとする。右側のゆるい斜面の草付へ出て少し登り,セルフビレー用ハーケンの打ってある小さなスタンスに出て セカンドを迎える。

2ピッチ目はブッシュに蔽われたくぼみをダイレクトに登りたいと思っていたが,落石をやれば危険なので右の小さなフェースの真中に出たが, 下が切れ落ちているので手間取り,バランスを保つだけのハーケンを打ち,やっとのことで松の木のあるテラスに着く。ここで石田を迎え,石田はそのまま 3ピッチ目にかかる。

暫くは難なく進んだが,なだらかな岩肌の斜面のどん詰りに直立したフェースがあり,これが最後の3ピッチ目で高さは15m程だ。さほど高度感がなさそうなので 安心できるが,ホールドやスタンスがない。フェース中央にクラックがあり,ところどころにハーケンが打たれてあるから,これに頼らなくてはならないようだ。 またトップをやることになり,セカンドに廻った石田が「ええとこ取りにされた」とぼやく。最初の踏出しがうまくいかず,早速ハーケンを使用する。

先に登ったクライマーは相当強引に登ったのかハーケンが大まかにしか打ってなく,その間に打ち足しを行うもリスが少ない上,硬くて適当な個所に打てなかったりする。 クラックに沿って進むが,クラックの中もツルツルで手がかりもないしアブミを使って登る。所々スタンスがあるがホールドがないので思い切って乗れない。クラックの 右側は登れないので左側を対象にして登るが行けない。最後にアンサウンドなハーケンを打って,バラかけた?体で強引に登り切ってテラスに出た。

この裏は切れ込んでいて絶壁になっている。熱い時に1時間もへばりついていたのだから完全にバテた。一息ついていると雪稜クラブのアタックが成功したようで, サポート隊が烏帽子岩西肩コルに集まっていた。ビレー用のハーケンを打ちセカンドに合図する。20分程で簡単に登ってきたので阿呆らしくなった。登攀開始から 終了まで3時間45分であった。

テラスより少しよった正面フェースの東側にある大きなバンドで昼食をとるも疲れているのでなかなかのどに通らなかった。下りのルートを検討する。尾根へ出て南峰 コルを廻るコースを考えたが気が進まず,西の肩へトラバースしようとしたが,途中で右俣沢の支流でさえぎられたので,サポート隊と連絡をとってカンテから攀?沢 をへだてた壁をアプザイレンで降りる。余力のある石田とサポート隊の指示に支えられて恐る恐るアプザイレン。20mの3ピッチでやっと基部に着いた時は流石に 何の慾もなかった。サポート隊が居なければとてもこんなことはできない。

B・Cへ帰る途中雪稜の初登攀パーティーと一緒になった。B・Cで皆から握手されてやっと完登の喜びを味わう。今夕は食事の用意までさぼらさせてもらいほんとに 有難かった。合宿の予定の大部分が完了されたので,いくらか気が楽になった。東方で雷が鳴り穂高の稜線の上に積乱雲が美しい乳房雲に変化していくさまを皆で声もなく見とれた。