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阿弥陀岳広川原沢3ルンゼ
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1986.4.12〜13
メンバー 北川,石際


1時間半の眠りからまだ覚めきらぬ体に鞭打って私と北さんは雪の積もった谷間を歩いていた。
まだ歩き始めたばかりだというのに,北さんは遅れがちである。というのは,私が歩いても潜らない所でも 北さんはズボッと股まで沈んでしまい,抜け出すのに苦労しているのである。 私は,心配しているような顔をして手を貸したりしたが,実はこみあげる笑いをこらえるのに大変であった。

振り返ると,白い山々が谷間に見え,見上げると凍りついた阿弥陀岳の岩峰が青空に雪煙を上げている。 この奥壁を右にまわりこみながらピークにダイレクトに突き上げているのが3ルンゼだ。思わず「すげーな」を連発 してしまう。

軽いラッセルをしながら滝が雪で埋まってしまった沢を詰めていくと,ゴルジュの左奥に1ルンゼ奥壁の角ばった 頭が見えてくる。前方には1,2ルンゼ出合の15m大滝がデブリにほとんど埋まって3mほどの青氷を見せている。 ここが3ルンゼの出合。ちり雪崩(樹氷の花)が絶えず流れてくる。それを避けるようにルンゼの左端の急な斜面を登る。

しばらく行くと二段の大滝が現れる。20mくらいであるが傾斜のある部分が短いので,ノーザイルでも行けそうであった。 2人でそれぞれ試みるが,ルンゼ自体が既に気を許せない斜度になっているため,慎重を期してアンザイレンして登る。

一段目は左の凹角を登り,二段目は真中のルンゼ状のところを登ろうとするや例のちり雪崩が大量に襲ってきた。雪まみれ になり,サングラスが真っ白になって見えなくなる。セミのようにじっと耐えるが,ちっともやまないので,手探りで クライムダウンしてテラスまで戻る。左の垂直の青氷を登ることも考えたが,自分の力では踏ん切りがつかず,結局 流れが息をついたところを一気に抜けた。雪にピッケルをぶち込んで北さんを迎える。楽に登ってきた。さすが。

この大滝のすぐ上で二股になり,私たちはピークに突き上げる左俣にルートを取る。ラッセルをしながら,さらに急になった ルンゼを詰める。50度近くあるだろうか。足の感じでは雪の下は氷のようだ。早い時期ならば,ずっとナメ氷が続くところである。 岩でルンゼが狭められた奥に3mぐらいを雪壁の上に露出した80度ほどの氷が見えてくる。 1960年代の初登時にはカッティングによって3時間もかけて突破された核心部である。ここはアイスハーケンとツララでしっかり 支点を決めてダプルアックスで難なく抜ける。上には太い木があり,ここで切ってコールをかける。

この滝の上はザイルを解き,小滝ややさしい岩場を慎重に登る。このころから雪が腐ってアイゼンがダンゴになり効かなくなってきた。 北さんと先頭を交代すると,ダンゴを一歩ごとに落としながら遅れがちについていく。息が切れる。こんどは北さんが笑う番だ。

しつこく左寄りを詰めて,ひょっこりと出たところは丸い阿弥陀岳の頂であった。
沢の入口からずっとトレースがなかった。阿弥陀岳の頂上も私たちの足跡だけだった。



北川さんは亜細亜大学山岳部のOBで当時のK7(後に東大スキー山岳部が初登)の最高到達点記録や,会社を辞めてマッキンリーに 単独で登ったりとスケールの大きなクライマーだった。
初めての冬山も北川さんに連れて行ってもらった。冬山2年目の私と正月の滝谷へ行こうとしてくれたのも北川さんだった。 現在ガイド会社ODSSの代表で,考えることのスケールがやはりでかい。こだわって小さな世界へ収斂していってしまう 私としては飲み屋でしゃべっていても頭が上がらないのである。